前回、出雲国譲りの物語の話を取り上げましたが、これは、国の支配を争うような問題であっても、軍事的な戦いを好まず、話し合いで決着を図るという話し合い第一主義の話をしました。
国の問題でさえそうです。またこれは、会社、また個人に置き換えても、そうなのでしょう
問題ごとが起きたら、それを一人で解決できるものでなければ、話し合いをして、そうすれば、解決できるようになっているのですね。
一人で考えることも大切ですが、「一人で頑張らなければ!」と全部を抱え込んでしまうと、潰れてしまうのも現実でしょう。話し合うことによって、良い案も出てくるかもしれませんね。
話し合いが大切、という国体ですが、これは、怨霊信仰からきている、というのもあるようです。
怨霊信仰とは、怨念を抱いて死んだ人間を神として祀ることにより、怨霊となって生きた人間に祟ることを防ぐという信仰です。古来怨霊はこの世に災いをもたらす最大の悪霊として恐れられてきました。
つまり、怨霊を出さないということが、社会の安寧に必要であり、そのためには敗者に怨念を持たせないことが必要になります。
怨念を持つと、生き霊として、また死んで怨霊として、関係者に祟ると、恐れられていたのです。ですから、勝ち負けでなく、競うことなく、話し合いによって、両者が納得してお互いに納得のもと決めていくのが重要となるのです。
穢れ忌避思想とは、穢れを避ける思想・・・特に一番の穢れとされている死穢を避ける信仰を言います。徹底的に相手を打ち負かす、というのも一種の穢れ行為とみなされていました。
特にビジネスにおいて、相手を徹底的に負けるまで追い込んで倒産させるまでは、好ましくないと、考えられていたのですね。
一方的に、自分だけが都合よく持っていく提案や考えを押し付けては、必ず相手も快く思わないでしょう。(怨霊信仰)相手の都合を何も気にしないでこちらで決めたことを押し付けると、相手も潰れてしまいます。(穢れ忌避思考)潰してしまうと、その影響もこちらにくる、という信仰ですね。回りに回って返ってくると考えられていました。
こちらもよし、あちらもよし、となるべくお互いが良い形になることを考えて決めることがいいとされています。
以上、2つ挙げた「怨霊信仰」と「穢れ忌避思想」の信仰から、相手を完全に排除するという極端な行動は避けてきたのです。
昔から「敗者を出さない」といった心がけをとても大切にされてきたようです。
競争社会にもなっていますね。「勝ち組負け組」という言葉も出来上がりました。そう言った言葉に踊らされすぎず。時にビジネスなど競走もあるかもしれませんけど、とても大切なのは、どれだけ自分の分を尽くすか、というところではないでしょうか。
いかに「自分の利益だけ」という心を振り払い、相手をことをも考えることができるか。
こう言ったところから、私たちは、神仏になる修行をしているのですね。
国譲りの物語からも、天孫降臨のお話からも、私たちに伝える最大の教訓は、この地上世界で生活していく上では、物質的な欲望と高天原の霊性(神性)とのバランスを取ることが重要であるということです。
この相反する2つのバランスを心がけるという態度が、極端な行動に走らせないようにコントロールしてきたことにもなるのですね。
今回は、日本に古くからある、この2つの信仰について書いてみました。
以上のことからも、話し合いというのは、大切にされてきたのですね。
「私が一人我慢すれば」というのが美徳として思われていますが、時にそれも必要な時もありますが、やはり言わないと通じませんね。それは相手が子供であっても夫であっても、会社の社長・部下であっても同じですね。お互い誤解して、変な恨みを抱いたり抱かれていたり、こう言ったことって結構あるのではないでしょうか。
コミュニケーションをとることによって、どういった人か・どんな考えをしているのかがお互い理解することになり、そこから円滑に物事がうまくいきます。
少なくとも、この国では、古事記にきちんと書かれているのだから、そのほうがうまくいくと思います。
最初は勇気がいりますが、最初だけ。一旦、少しずつでもコミュニケーションを取り始めると、上手になっていきますよ。