夏も本番になってきました。暑さに負けず頑張りましょう。

國體(国柄)を考えた生き方〜和の国・日本

国体(國體)について知らない日本人

国体(國體)という言葉があります。「飛んだり跳ねたりのあの国体?」と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、もう一つの国体。

国体とは、ざっくり言うと、国柄、国の姿のことを言います。アメリカ人にアメリカ人の国体を聞いたらきちんと答えられるそう。中国人にあなたの国の国体は?と聞くとちゃんと答えが返ってくるそう。日本人に聞いたら、・・答えられない方も多いのではないかと思います。

この「國體(国)体について答えられない」というのが、世界で見た時に異常なことのようです。

アメリカが戦争に勝ちましたよね。それでも日本人の強靭な精神に恐れを抱いたアメリカは、日本の弱体化を狙って、国体について教えないと、画策したようです。

昨今、日本でもうつ病に悩む方が増えました。こう言ったメンタルな問題も、この國體のことを教えずに、そして、海外の精神がそのまま入ってきていて、定着しつつあり、それがもともと私たちが本来持っている日本DNAと合わないためではないだろうか、と私は考えています。

霊的にみた時、世界各国、それぞれの役割がある。

國體とは、国柄・国の姿だと先ほど書きました。各国それぞれ、國體があります。そして、それは各国の姿であり、個性となります。そして、その国柄というのは、意味もなくあるのではなく、霊的な部分で見ても、それぞれ役割があります。

まず、アメリカの霊的な役割は。アメリカは新しいものをどんどんと開発・発明する国だということです。そして、ヨーロッパの霊的な役割は中国を牽制する役目だったと記憶しています。そして、日本の役割は、調和の国の役割だとのことです。

(各国の役割というのが、古神道家の村山惣作さんの本の中に書いてあったのですが、再度探すのですが、見当たらず。見つかったらまた書こうと思います。今うる覚えの状態で、上に記しました。)

各国の首脳が集まった時に、ちょっと首脳同士がトラブルになりかけたことがあるそうなのですが、安倍元首相がそこの間を取り持ち、争いにならず、各国が上手にまとまったと言った有名な話がありますが、正に体現されたお話です。

日本は、まず和の国・調和の国というのが、國體の一つであるということになります。

この調和の部分は古事記のどこに書いてあるかというと。

日本の神々も、一つの物事を決めるのに、必ず話し合いによって決められます。そして話し合いをしてその決まった事柄で神様方が動かれます。天照大御神が岩戸にお籠りになられた時も、八百万の神々が集まって、どうやったら天照大御神様が出てこられるか」を話し合われて、そして、その計画に則って、神々がそれぞれの役割を果たし、そして、結果、その目標が達成されます。

神々がお話し合いをされて、そして、その合意のもと、それぞれの役割を果たされて、目的達成、ということですね。「私やりたくない」とおっしゃった神様はいらっしゃいませんでした。また誰かの一人の考えによる命令で、神様たちが動かれたのではないですね。話し合いがされています。皆と意を合わされているのですね。

新自由主義に揺れる日本

このように、ずっとこの和の精神できた日本ですが、戦後、新自由主義が海外から入ってきます。(これは日本の弱体化を狙って入ってきたものだと言われています)

和の精神とは、自分のことは後回しにする精神です。「自分のことはあと、まずは仲間のために働こう」「正しく生きた先に、自分の幸せがある」と言った精神になります。

そして、この新自由主義、というのは、「自分をまず大切に」と自分利益をまず一番に考える思想です。もう相反していますよね。人に迷惑をかけなければ、自分を大切にすることはいいことだと思うのですが、人に迷惑をかけてでも自分優先、というのが、浸透しつつあるような。

これは國體に反するのですね。

これは、経済にも当てはまるでしょう。

経済活動において、個人主義を徹底することになっていますね。個人の利益追求に最大の価値を置く。「質より、お金でどれだけ稼ぐか数字にこだわるかと言った、個人の利益追求に最大の価値をおく」そう言った思想に重きが置かれているように感じられませんか?昨今、特にそう思うのです。

この新自由主義経済思想も、國體に反することになるようです。

分掌・分業の社会であるのが、我が国の國體である。

この、新自由主義に相反して、我が国の國體のひとつに、「分掌・分業(ぶんしょう。ぶんぎょう)」というのがあります。

分掌・分業とは、役割分担の社会だということです。各人が、各々の特性を活かして仕事に尽力することであり、己の役割に刻苦勉励することによって社会は調和し、発展するという考えを言います。(先程の天岩戸事件の時もそうですよね。)

一人ひとりの個性を生かしながら、それぞれの個性を発揮すれば、お互いが衝突することはなく、全体の調和が達成するといったことになります。

「個性がない」ととても心配される方にもお会いしますが、大体個性なんて、みんな誰しもが持っています。それを大きく主張するのではなくて、そう言ったものは、我が身から自然と出ているものです。ご心配なく。わたしたち一人ひとりは、例外なく、神様からのわけ御魂をいただいて生まれてきていますので。

個性のない人はいません。1億3000万人の魂で、同じ個性は存在しません。

そのような個性を生かしながら、ふさわしい仕事につき、刻苦勉励するという分掌・分業社会が、我が国の姿なのですね。

決して、ただ自分一人の多くの利益の追求だけをするというような社会思想とは違うものなのですね。

二宮尊徳の言葉

とは言っても、染まってしまっているので、引きづり込まれてしまいそうにもなります。

そんな時、この教えが頭に浮かびます。

次の言葉は、二宮尊徳さんの教えのひとつです。一人喜ぶものがいたら、必ず泣いているものがいる。この視点を常に持っていれば、行き過ぎた新自由主義思想を中心に持って来れるように思うのです。

ご紹介したいと思います。

吉凶禍福苦楽憂歓等は、相対する物なり、

如何(なん)となれば、猫の鼠を得る時は楽の極なり、

其の得られたる鼠は苦の極なり、

蛇の喜極る時は蛙の苦極る、

鷹の悦極る時は雀の苦極る、

猟師の楽は鳥獣の苦なり、

漁師の楽は魚の苦なり、

世界の事皆斯の如し、

是は勝ちて喜べば、彼は負けて憂ふ、

是は田地(でんぢ)を買ひて喜べば、彼は田地を売りて憂ふ、

是は利を得て悦べば、彼は利を失ふて憂ふ、

人間世界皆然り、

たまたま悟門に入る者あれば、是を厭ひて山林に隠れ、世を遁れ世を捨つ、

是又世上の用をなさず、

其志其行ひ、尊きが如くなれども、世の為にならざれば賞するにたらず、

予が戯れ歌に

「ちうちうとなげき苦むこゑきけば鼠の地獄猫の極楽」、

一笑すべし、

爰(ここ)に彼悦んで是も悦ぶの道なかるべからずと考ふるに、

天地の道、親子の道、夫婦の道と、又農業の道との四つあり、

是れ法則とすべき道なり、

能く考ふべし

口語訳

吉凶禍福苦楽憂歓等は、相対する物である。

猫がネズミを捕らえると、猫にとってはとても幸福なことである。
でも捕らえられたネズミは、最大の苦となる。

蛇がカエルをとって食べることは最大の喜びであり、一方捕らえられた蛙は最大の苦である。

鷹が雀を捕らえた時は最大の喜びであるが、捕らえられた雀は最大の苦である。

猟師が鳥獣を捕らえた時は最大の喜びであるが、捕らえられた鳥獣は苦である。

漁師が魚をとった時にはこれも喜びであるが、とられた魚は苦を感じるのである。

世界のことは、皆このようなものである。

こちらが勝って喜べば、あちらは負けて思い悩むのである。

こちらが田畑を買って喜ぶならば、あちらは売って思い悩むのである。

こちらが利を得て喜べば、あちらはその利を失って思い悩むのである。

人間の世界のことも、このようなものだ。

たまたま悟りを開くものがあれば、この世を嫌って山林に隠れ、世をのがれ世を捨てる者もいる。

これもまた世の中の用にはたたない。

その志やその行いは尊いようであるが、世のためにならなければ褒めるにあたらない。

私がたわむれに詠んだ歌に
ちうちうと なげき苦しむ 声きけば 鼠の地獄 猫の極楽
とある。一笑するがよい。

ここに、あちらも喜び、こちらも喜ぶ道がないかと考えるに、天地の道、親子の道、夫婦の道、また農業の道の四つがある。これらは法則とすべき道である。

よく考えるがよい。

まとめ

自己愛重視の新自由主義な社会にさらに拍車をかけている現代だと思います。

「自分を大切に」と、確かに間違ってはいないのかもしれませんけど、でも捉え方の問題で、独りよがりの方に偏り過ぎると大変なことになります。國體に沿った生き方ではなく、つまり日本国でもなくなり、日本人でもなくなってしまうのです。

1億3千万人の人が、みんな周りを思いやって世のため人の為、と動いていたら、この日本はどれだけ幸せになれるでしょう!それで幸せになれることが、古事記に答えとして書いてあるのですね。あのあと、天照様(太陽・光)が出てこられたのですから。

昔(戦前)はもう少し、人情というものがあったと古神道家たちは言います。

自分をまず一番にする、一人の人間が自分の利益だけを考えて多くを搾り取るというのは、やはり和を重視しない生き方であり、國體に反する生き方ということのようです。

これは、時代によって変わるものではなく、この國體は、今もなお、生き続けているのですね。

國體に沿って生きる生き方が、日本人にとって幸せになる道のようです。古神道家も霊的に見てもそれに間違いがないと言っておられます。

なかなか昨今、染まり切ってしまっていて難しいところもありますが、でもなるべく一人一人が伝統に復古するように意識していくことが、この日本を無くさないために、必要だと考えます。

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