夏も本番になってきました。暑さに負けず頑張りましょう。

不倫についてー古事記から読み取る

「自分を大切に」・・・この言葉がとても流行っている。神道には、この考えは元々ない、と言うことです。

「自分を大切に」これは、私はある程度大切だと思っていますが、なぜ神道にはこの考えがないのかなと、自分なりに考えてみました。そして、私が出した結論は、自分を大切にする、と言うのがかつてから元々あって、そして、いつの時代も、それが行き過ぎてしまっていたのではないか、そしてそれによるトラブルが絶えなかったのではないか、と思いました。そこを許可すると、人はどんどんと悪い方向へ堕落してしまう・・・だからそれを防ぐためだったのではないかと考えます。

スピリチュアルの教えでひとつ大きな間違いがある

この「自分を大切にする」精神は、私がスピリチュアルに興味を持ったときに、一番はじめに出会った「教え」でした。私もこの言葉を目にしたときに、目から鱗、でしたが、この言葉に救われた気持ちになりました。

スピリチュアル界では、この言葉を知らない人はいない、常套句となっていますね。

誰にも迷惑をかけないものだったら、これはとてもいい教えだと思うのですが。

これが行き過ぎてしまって、自分の都合のいいように使っているので、トラブルが発生しています。

そのひとつが、なんと言っても「不倫」でしょう。スピリチュアルを知っている人は、その教えをそのまま鵜呑みにして不倫をされている方もいらっしゃるし、不倫肯定派の人も多いのも事実です。「ソウルメイト」とか言う言葉がある通り、「結婚後に出逢ってしまった」と自分中心の考えになり、「その好きな気持ちも大切にするべきだ」といって新たな恋愛に走りがちになるのですね。

この自己中心的な教えは、スピリチュアルの大罪の一つではないかと私はいつも思っています。私はスピ歴も長いですし、多くのこの不倫の案件も見てきましたが、まず、不倫をされている方で、結ばれた方はおられません。そして、不倫は罪になり、あと必ず、精算しなければならない出来事が起こります。

それでも彼が好きだから!とおっしゃる方は、その方の人生ですから、一つの経験としてされるのは、私は否定できないと思っています。

でも、結ばれないことが全部というくらいほとんどですし、結ばれない上に、その後に起こる出来事で大きく悩まれるのを見ていると、私も事前に防げないものか、と思ってしまいます。

表には私も出しませんでしたが、実は裏では、こう言った現実があること、知っておいていただけたらと思います。

相曽誠治さんが古事記から不倫について読み取ってくださっていました。

私は、不倫について古事記に書いていないものかと、探してみましたが、普通に読んでも載っていません。日本は昔一夫多妻制だったし、やっぱりこの国は、不倫を認めているのかな・・・・と一旦結論を出したことがあったのですが。ありました。

相曽誠治さん、かつてご紹介したことがあるのですが、古神道家の方で、すでにお亡くなりになっています。この方のすごいところは、例えば、「好き」ってどう言った深い意味を調べたい時に、好きと言う単語を、「す」と「き」とそれぞれ分解して、「す」と言う文字の意味、「き」という文字の意味、など一つ一つの文字を分析して、それが組み合わさった「好き」と言う単語は、結局どう言った意味になるのか、と、文字の個性からその単語の深いところをよまれている、そういったことのできる素晴らしい古神道家の先生でした。

相曽さんは、それを得意とされていた古神道家の方であったので、古事記も原文から読み取られ、他にはない古事記の解釈がなされています。そして、相曽さんの古事記の読みから、この不倫についてのものが古事記にありました。

古事記では、ここの部分に書かれている!

伊邪那岐命と伊邪那美命はかつてとても仲のいい夫婦でした。伊邪那美命が火の神をお産みなったときに、伊邪那美命は亡くなってしまいます。

そして伊邪那美命は、黄泉の国に行ってしまいます。

伊邪那美命を恋しく思って、夫である伊邪那岐命は黄泉の国を訪れます。

そして、伊邪那美命と一旦会えたのですが、「ちょっと待ってくれ」妻に言われます。そして、ずっと待ち続けます。でも、待っていても中々部屋から出てきません。「部屋の中を覗いてはいけない」と伊邪那美命に約束をされていたのですが、待ちきれず部屋を覗いてしまいます。

伊邪那美命の姿が、ウジまみれで醜い女性になっていました。

ここの箇所です。

不倫をすると、心身が穢れるのである

相曽さんの文字からの古事記の解釈によると。

伊邪那美命がウジムシまみれになって醜い姿になったのは、死んで黄泉の国に入った時に、若い男性の誘惑から、その男性と関係を持ってしまったから、だといいます。

不倫をしてしまって、そしてその罪で、そうなってしまったと言うのです。

その古事記では、その姿を見て夫である伊邪那岐命が逃げていくのですが。

実際に、不倫をしてしまうと、醜い身体になって、身が穢れてしまう。そして、他人はもちろんのこと、夫をも逃げてしまう、といった意味になる様です。

オーラがこうなってしまいますから、人だけじゃなく、いい運もやってきませんし、お金も逃げていくことになるでしょう。オーラが汚れると、別のエネルギーも寄ってきますよね。

だから現実面、トラブルだらけになるのでしょう。

不倫はウジ虫オーラになると言うのを確信したある事例

そういった解釈もあるんだ・・・と思って、私も過ごしていたのですが、ストレートに書いてないので、私も確信ができず、過ごしていました。

するとですね、これが本当だとわかる出来事がうちに起こってしまってですね。

あるクライアントさんがこちらを訪れてくださったのですが、この方は県外に在住の方です。県内の方ではないですので、とりあえず、ここはきちんと書いておきましょう。

県外のセラピストさんのところで、レイキを流してもらっていたそうです。そして、そのセラピストさんは、ご家庭がありながら不倫関係になりそうになっていたとか。それをセラピストさんから聞かれていた、とのことでした。

そして、なんかスッキリしないということで、うちのセラピーのセッションに来ていただいたのですが。うちに来てもらうと、ガイドから夢を見させられますので、このクライアントさんがある日、夢をご覧になられてですね。身体中にウジ虫がはっている夢を見たとおっしゃっていたのです。そして、私自身もその方のセッションの前にウジ虫が陰部にはっている夢を見ました。

ヒーラーさんが不倫をされていたのですが、きっとエネルギー状、蛆虫になっておられたのでしょうね。そのウジ虫のエネルギーがクライアントさんのお身体に移ったのだろうと思います。

このクライアントさん、なぜかご主人と喧嘩ばかりされる・・と言ったことが続いて、そのエネルギーを取ると落ち着きました。

こういった一連があり、相曽さんの読み取りが本当だった!と気付かされます。

まとめ

と言うことで、古事記には、不倫というものはそう言ったものだと書かれています。今のところ、相曽さんくらいしかいらっしゃらないのですけど。でも、体験からも、「あの相曽さんの読みは正しいだろう」と結論づけています。

私は数多くの不倫を見てきましたが、結末を見ても一貫性があり、そのパターンを見てみても、古事記に書いていないはずはないのですよ。古事記は、「こう生きていったら幸せに暮らせますよ」といった手引書でもあるので。

ただ、古事記難しくて読めない、とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。

そう言う時には、「法律」や「ルール」に注目しましょう。法律というものは、実は天照大神様を中心に、神々たちがルールを先に決められています。そして、それが地球上に現実面で、反映されているのですね。不倫は、裁判にかけられると有罪になりますよね。つまり、神様にとっても、神様のルールに則って、有罪なのです。

ルール違反を犯さないこと、例えば交通ルールも然り、ちょっとしたマナーも然り、そこを大切にして生きていけば、神様のご加護も入り、幸せに暮らしていけるのですね。

法律に幸せになるルールが織り込まれていますし、法律ってありがたいものなのです。

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