夏も本番になってきました。暑さに負けず頑張りましょう。

神仙感応経の口語訳 1

先日書かせてもらった神仙感応経の口語訳を書いていきます。今日は第3段落まで書きます。続きはこのページを書き足していくか、別のページでご紹介させていただくかはまだ分かりませんが、書いていきますので、乞うご期待!

昔は、死んだら、なるべく高く尊い神様のそばに行けるよう、この「神仙感応経」を毎日読んで、なるべくその教えを実行して、そして、生きている時に、神様からその努力を認められて、神様の世界をのぞかせてもらった人も数人おられました。(異教備忘録に書かれています。)そのくらい、神様の意向がどこにあるのかを霊察できる貴重な書であるので、究学の士は、必ず目を通しておくべきものだと言います。

口語訳を読んで、「わーー」と胸痛くなり、反省するものがあり、自己を正していこうとも思いましたが、これを全部実行は難しいのかもしれませんが、なるべく、これに則って生きていきたいなと思いました。

良いことと悪いことが書いてあり、日本人ならば、これにプラス「天皇の存在を第一にし」、という中心核を付け加えると完全無欠なものに仕上がるということです。(勅使河原大鳳さんより)

これは、シナの神仙道を説いた仙書だったようで、伊邪那岐大神が葛洪に直接授けた教えだということです。神道には見当たらない訓戒もあるようですが、シナ神仙界の伝承か、文章のリズムを整えるための語呂合わせかであるようです。(その部分はこちらで書いておきますね。今回はないですが。)

そして、前回、「神仙感応経の口語訳がネット上には見当たらない」、と書いてしまったのですが、すみません、ありました。それを参考にさせてもらったのと、あと、勅使河原大鳳さんの口語訳とをおり混ぜて、書いていきたいと思います。

ネットでは、浄空法師説法研究https://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/f09c343b10b490beb9db61c210d0f5e9)さんです。ありがとうございました。助かりました。

それでは。書いていきますね。

第1段落 綱領

太子は言われた。

禍福は元々定まっておらず、ただ人が自分自身で招くものである。

善悪の果報は、影が形に随(したが)うようなものである。

第2段落 警鐘

天地には人間の行動を監視する司過神(しかしん)がいて、

人が犯す罪業の軽重によって、人の算(寿命)を奪うのである。

算を減らせば、貧窮し、消耗してしまい、

多くの憂いと苦しみに見舞われ、人は皆、その人を憎むようになり、

様々な禍(わざわい)がその人につきまとい、

吉慶(おめでたいこと)はその人を避けていき、不運の星はその人に災いし、

算が尽きれば、死んでしまう。

また、(生死・福報・財産を管轄する)三台には、北斗の神君(造化参神と北斗七星の神)がいる。人の頭上にいて、人の罪悪を記録し、その紀(12年)や算を奪うのである。

また三尸(さんし)の神がいる。人の体の中に住んでいて、60日に一度庚申の日には、欲界の天曹(てんそう)行って、人の罪過を報告するのである。

月末の晦日(つごもり)には、かまどの神もまた同じように、人に過失があれば、

その過失が大きければ紀(12年)を奪い、小さければ算(100日)を奪うのである。

その過失には大小があり、数百もの種類がある。

長生きをしたかったり、神仙になりたいと思うものは、まずこのような過失を避けなければならない。

第3段落 福報

【総括】正しい道であれば進み、非道であれば退きなさい。

【自己を修める】誤った道に行かず、人の目が届かないからといって欺くこともなく、徳を積み功を重ね、心を物に慈しみ、忠孝・兄弟愛を実行しなさい。

【人を教化する】自己を正して、人を教化しなさい。

【人の身になって考える】孤児や孤独な人を憐れみ、困窮者を恵み、お年寄りを敬い、幼い子を懐かせ、昆虫草木といえども、傷つけてはいけない。

人が禍いに見舞われるのを憐れみ、人の善を一緒に喜び、人の危急を助け、人の危険を救いなさい。

人が得るのを見たなら、自分が得たようなものである。人が失うのを見たなら、自分が失ったようなものである。人の短所は明らかにせず、自己の長所をひけらかしてはならない。

人の欠点を庇い、良いところを褒めなさい。

【貪らず】人に多くを譲って、自分は少なくとり、

【怒らず】侮辱されても恨むことなく

【愚かでない】恩寵を受ければ恐縮し、恩を施して報いを求めず。人に与えて後悔をしないこと。

【これらの善行の果報】このような善人であれば、誰もが尊敬するだろう。

天道はその人を助け、福禄はその人に随い、衆邪はその人から遠ざかり、神霊はその人をお護りくださる。

行うことは必ず成就し、神仙も請い願うほどである。

天仙になろうとする者は、1300の善を修めなければならない。

地仙になろうとする者は、300の善を納めなければならない。

(・・・続く)

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