エッセイ

生き物を殺したら、罪になりますか

川村 裕美

こんにちは。いつもブログにお越しくださり、ありがとうございます。

以前、亀の供養のお話を、このブログに書きました。

そうしたら、何人かの方から、こんな声が届くようになりました。

「生き物を殺してしまったことがあります。私、罪になりますか?」

そのままにしていた問いに、今日はちゃんとお答えしたいと思います。

「私、罪になりますか?」

先日、ある方から、こんなご相談をいただきました。

「メダカを飼っていたのですが、飼い方が良くなくて、たくさん死なせてしまいました。これは、罪になりますか?」

また別の方は、飼っておられた金魚が弱ってしまったとき、水を換え、薬を入れ、隔離して、できることを全部されました。

それでも、金魚は旅立ちました。

その方はそのあと、ずっとご自分を責めておられました。

わざとでないなら、それは罪ではありません

まず、いちばん大事なことを。

わざとではないなら、それは罪ではありません。

メダカが死んでしまったのは、上手に飼えなかったからで、殺そうとしたからではありませんよね。

金魚が旅立ったのは、手を尽くしてもなお、その子の寿命だったからです。

お二人とも、その子たちを大事にしたかったのです。だからこそ、死なせてしまったことを悔いておられる。

その悔いる心が、もう答えです。

命を軽く見ている人は、悔いません。悔いる人は、命を大事にしている人です。

だからどうか、ご自分を責めないでくださいね。

手を尽くしたのに助からなかったとき、人は「私のせいだ」と思います。

でも、命には、こちらの手の届かない領域があります。

そこまで背負おうとするのは、優しさが行きすぎているのです。看取ったこと自体が、もう十分に尽くした証なんですよ。

それでも、蛇と亀は特別なんです

そのうえで、お伝えしておきたいことがあります。

私が日々読んでいる「神仙感応経」——太上感応篇とも呼ばれる、古い経典があります。日本の神仙道でも、とても大切にされてきたものです。

そこには、してはいけないことが、細かく書かれています。

その中に、こういう一節があるんです。

蛇を殺し、亀を打つ。

これは、かなり重い罪になる、と。

生き物すべてが同じ重さなのではなくて、蛇と亀は、特別なんですね。

なぜ特別なのか。

私の実感でいえば——蛇も亀も、ただの生き物ではなく、神様のお使い、あるいは神様に近いものとして、この国でずっと敬われてきたからだと思います。

水の神様、土地の神様、長寿の象徴。人の暮らしの、いちばん深いところに関わってきた生き物です。

だから、その命を害することは、ほかとは違う重さを持つ。

私自身、身内が亀の命を奪ったことがあり、そのことが家系の中に長く残っているのを、この目で見てきました。だからこそ、亀の供養をしたのです。

ただし、ここは分けてお伝えしなければなりません

私は夢の中で、蛇を斬ったことがあります。浄化のワークの中でも、そうしたことをします。

でも、これは罪にはなりません。

なぜなら、それは生き物の蛇ではないからです。

人の執念や、恨みや、こじれた思いが、蛇の形をとって現れることがあります。あれは命ではなく、念です。生きて土を這っている蛇とは、まったく別のものなんですね。

生きている蛇を殺せば、罪になります。

でも、人に取り憑いて苦しめている念を祓うことは、罪ではありません。むしろ、その人を助ける行いです。

同じ「蛇」という姿をしていても、中身がまるで違う。ここを取り違えると、二つの間違いが起きます。

ひとつは、「蛇は殺してはいけないから」と、憑いた念を祓えずに我慢し続けてしまうこと。

もうひとつは、庭にいる本物の蛇を「これは念だ」と言って手にかけてしまうこと。

どちらも、してはいけないことです。

見分けること。それが、いちばん大事なんです。

蚊やゴキブリは、どうなのですか

こう書くと、今度はこう思われるかもしれません。

「では、蚊を叩くのも罪ですか?」
「ゴキブリを退治するのも、いけないことですか?」

これも、よく聞かれます。

安心してくださいね。

人間に害を与えるものを退けることは、基本的に、そんなに罪にはならない——これが、神道家の方々の考え方です。

蚊に刺されれば、病気になることもあります。ゴキブリは食べ物を汚します。家族を守るために、それを退ける。

これは、憎しみからの殺生ではなく、暮らしを守るための行いです。

生きるということは、他の命をいただくことでもあります。私たちは、お米も、お魚も、お肉もいただいて生きています。

それを罪だと数えはじめたら、人は一日も生きられません。

大事なのは、命の重さを、まったく感じなくなってしまうことのほうなんです。

罪を数えるためではなく、命を丁寧に扱うために

この教えは、私たちを怖がらせるためにあるのではありません。

「あれもだめ、これもだめ」と数えて、怯えて暮らすためのものではないのです。

そうではなくて——命を、ぞんざいに扱わないでいましょう、ということ。

飼っていた生き物が死んでしまったなら、手を合わせて、ありがとう、ごめんね、と伝える。

知らずに命を奪ってしまったなら、心の中で詫びる。

それで、じゅうぶんです。

供養というのは、罰を逃れるための儀式ではありません。あの命に、こちらの心を届ける行いなんですよ。

おわりに

メダカを死なせてしまった方へ。金魚を看取った方へ。

あなたは、罪人ではありません。

うまく飼えなかったことを悔いて、手を尽くしても助からなかったことに心を痛めて、そのことで眠れないほど苦しんでいるあなたは、命を大切にできる人です。

どうか、手を合わせてあげてください。

ありがとう、ごめんね、と。

それで、ちゃんと届きます。

今日も、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

ABOUT ME
ひろみ
ひろみ
セラピスト/ブロガー
精神世界を探求・研究し続けてきて21年。退行催眠のセラピスト。また、夢を見てメッセージを受け取ったり、夢を使ってヒーリングを行うこともしている。いつの間にかどこからともなく夢でメッセージが来るようになり、そのメッセージをこのブログで発信中。
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