日本神道における「前世の因縁」
日本神道は前世を認めていないように捉えられておられる方、多いのではないでしょうか。
これが認めていないようで、認めています。
「神道」という言葉が何か一つの日本の宗教的に扱われていますが、そもそも神道は宗教ではなく、古来より伝承されている文化・思想・精神世界の教えです。ですから、架空のことではなく、作り事ではなく、それが日本独自の教えとして受け継がれているものです。
江戸時代の書物の中に、天界のこと、この世の仕組みを書かれた書籍が残っていますが、
前世に関することに、このようなやりとりが書かれています。
現代語訳にして、ちょっと書いてみますね。
「前世の因縁」
元々、飛び抜けて得意技を持っている人
質問「人間に小さい頃から早く、芸が上達して、飛び抜けて素晴らしく行う人がいますが、これはどういうことですか?」
神様のお遣いの人「これは前世において、修行の努力を積んだ人々が生まれ変わった者です。
この人間の世界で、書芸学文などをよく習って取得できた人は、幽界(亡くなった後の世界)に入ってからは功績となりますが、全く役に立たないのは、官位や財宝です。」
善人であっても、苦難をたくさん抱えている理由
質問「信神をよくしていて善人で、それでおいても貧しく暮らし、苦難を抱えている人がいます。このような人に家業を栄させ、金銭も集まるように守ってもらえる術はないでしょうか?」
神のお使いの人「貧窮に暮らす人は、実は前世よりの定めであるのです。そのような筋を強いて望みの通りにしたならば、必ず人間の心の動きとして、過分の幸福を求めることとなり、人のため世のためにもよろしくない訳があり、こちらの方よりもなんともすべき術はない。」
病を断つことができない訳
質問「世の中に、痘鬼というものがいて、人間の乳飲み子に病を与えて、非常に良民を害しています。この妖鬼をくじき、痘鬼の病を免れる術はありませんでしょうか。」
神のお遣いの人「この病気にかかる者も乳飲児を失う者も皆、前世よりの罪報による業であるので、容易に病根を断つことができない訳があると申し伝える。」
3つのお話を載せましたが、前世の因縁に関しては、他にも古書にたくさん体験談として書かれているものを多く見ることができます。
人は誰でも、人生において何らかの困難に遭遇しますけど、それは全て前世における罪の報いであって、それをもう一度自分の魂を鍛え直して、一つずつ乗り越えていく修行の場が、今私たちが置かれている、まさにこの場所になります。そうなると、頑張って乗り越えようという気持ちになりますよね。
平田篤胤さんのお言葉
また、国学者の平田実篤さんによると、「現世の幸福が多いのも、あるいはお金が多くあるのも、それはまことの福ではない。本当の幸福は、災いが種となることが多いのである。この世で、お金が無いのも、また幸がないことも、本当の災いではなく、本当の幸福の種であることが多いのである。特にこの世で、苦難で苦しめられるものは、亡くなってから長く神々に御賞を頂ける。これを本当の福といい、奢り遊びにふける者は、死んでからは、長く大神のお咎めを被って叱られるのである」ということです。(大分、現代語訳にしました😅)沢山のお金や幸福を求めすぎて、人格が悪くなったり、悪いことをしたりと、自分を滅ぼす人も多くいますよね。このことがこれに当たると思います。
まとめ
厳しい教えではありますが、悪い行いは控えて、そして、いい徳を積んでいきましょう。良い行いをすれば、悪い行いの報いがちょっとずつ消されていきます。
また「浄化・浄化」と言いますが、これが、前世や今世で積んできた罪の報いを洗い流すことです。トイレの夢をご覧になられた時は、この洗い流しができるということですから、喜ばしいことだと思います。浄化って、貴重なことなのですね。浄化に乾杯しましょう😃
私が前世療法をしているのも、実はこの罪を軽減する手法だと認識しています。もしご興味があられる方は、私のHPをご覧いただけたらと思います。
それでは。今日もありがとうございました。いつもありがとうございます。