体の中の虫には、名前がありました
こんにちは。いつもブログにお越しくださり、ありがとうございます。
昨日、虫の夢のお話を書きました。

その最後に、体の中にいるもののことは、また別の日に、と書きました。
今日は、そのお話です。

昔の人は、それを「虫」と呼びました
腹の虫。 疳(かん)の虫。 虫の居所が悪い。
日本語には、虫のつく言葉がたくさんあります。
どれも、自分の意志ではないのに、体や気持ちが勝手に動いてしまう時のことです。
迷信のようですが、私はそうは思いません。 昔の人は、名前を先に見つけていただけだと思います。
本に、名前が書いてありました
古い道の教えを書いた本を読んでいます。
その本によると、人の中には「魂(こん)」と「魄(はく)」があります。
魂は、心の側のものです。 魄は、体の側のものです。
魄は、体にくっついて働いています。 そして、体と一緒に生まれて、体と一緒になくなります。
つまり、今のこの体で生きている間だけ、働いているものです。
その魄から生まれるものが、七つあります。
それが、七魄(しちはく)です。
七つの担当
七魄には、それぞれ担当が決まっています。
一つ目は、むさぼること。
もう十分なはずなのに、止まらずに欲しがり続けることです。
二つ目は、食べること。
食べたい、という気持ちそのものです。
三つ目は、色ごとの欲。
人を好きになる気持ちの中にある、体の欲のほうです。
四つ目は、盗むこと。
人のものを、自分のものにしたくなる気持ちです。
五つ目は、妄想すること。
まだ起きていないことを、頭の中でどんどんふくらませてしまうことです。
六つ目は、善いことを、壊してしまうこと。
いいことをしようと決めたのに、自分でその流れを崩してしまうことです。
七つ目は、欲望ぜんぶ。
あれもこれも欲しい、という気持ちのまとめ役です。
なぜ「鬼」と呼ばれるのか
本では、この七つを「鬼」と呼んでいます。
鬼と聞くと、怖く感じますよね。
でも、悪いことをするから鬼、なのではありません。
本の見出しには、こう書いてあります。
「感の働きを妨害するもの」
感というのは、受け取る力のことです。
たとえば、食べること自体は、悪いことではありません。 困るのは、食べることで頭がいっぱいになってしまう時です。 そうなると、ほかのものを受け取る力が働かなくなります。
テレビの音が大きいと、隣の人の声が聞こえにくくなるのと、少し似ています。
大事な力のじゃまをするから、鬼なのです。
誰の中にも、あります
念のため、書いておきます。
七魄は、特別な人にだけいるものではありません。
生まれた時から、誰の中にもあるものです。
私の中にも、もちろんあります。
ですから、七つを読んで「私にはこんなにいるのか」と怖くならないでください。 自分を責める話でもありません。 これは、善い悪いの話ではないのです。
気づくだけで、いいのです
いちばん厄介なのは、自分で選んでいると思わせるところです。
自分が欲しかった。 自分の意志が弱いから。
そう思っている間は、ずっとそこにいられます。
だから「あれ、これは私じゃないかもしれない」と思えたら、その時点で、もう半分は外れています。
それが何なのか、どこから来たのかは、追いかけなくて大丈夫です。 考え続けると、そちらが大きくなります。
名前は、知っておくだけで十分です。
全部と戦わなくていい
この本には、うれしいことも書いてありました。
本には、七魄のほかにも、三尸(さんし)、九蟲(きゅうちゅう)、五賊(ごぞく)という虫たちが書かれています。
でも、七魄を整えることができれば、ほかの虫たちも、一緒に落ち着いてくるそうです。
全部と戦わなくていいのです。
(ほかの虫たちのお話は、また別の日に書きますね)
そして、本の最後には、こうもありました。
これらは、人が組み上がっていくために要るものである、と。
無くすべき邪魔者ではないのです。
次回から、一つずつ
七つそれぞれのお話は、これから一つずつ書いていきます。
次は、夜になると急に甘いものが食べたくなる、あのお話です。
食べる鬼と、むさぼる鬼。
実は、この二つは別々の担当なのです。
(この記事は勅使河原大鳳著『幽真界研究』を参考にさせていただきました)
