魂を完成形に近づけることが人生の目的のひとつ
川村 裕美
えふで白書
今朝、夢の中で受け取ったメッセージでした。これは、私個人的なものかもしれませんが、皆様にとっても大切なメッセージでしたらいけませんので、とりあえず、アップさせてください。
ずっと、ある讃美歌を讃美歌集の中から探していました。ずーっと夢の中で探し続けていましたが、見つかりません。探し続けて、目が覚めました。
これは、讃美歌は、キリスト教の象徴ですね。キリストの中に答えを求めても、日本人の魂の宿っている私には、答えはキリスト教の中には載っていないですよ、といった教えだと思いました。
キリスト教って、そんなに間違ったことを言っていないと思うのですが、でもやはり相反するところもあるのでしょうね。
よく言われているのが、「キリスト教にとって、労働は罰である。神道は、仕事は神事である」ということ。罰として働くのか、それとも、人様の役に立てるように働こうとするのか(勤労ですね)、この心持ちだけで、日々の自分の精神性、そして取る行動、が違ってきます。
魂が行動を起こすのですから。
ということは、やはり取り入れる情報も、取捨選択をしっかりしないといけない、ということになりますね。
キリスト教の中に答えはない、ということでしょう。答えがない、というのは少し言い過ぎのような気もするのですが、まずは我が神道・昔の教えをまず参考にしましょう、ということだと思いました。
また、もう一つの学び。目を覚ましてとても疲れていました。そして、このブログを書いている今も、軽く疲労感が残っているのですが、このことから、「自分の魂の違うものを体内に入れると、疲れるぞ」といったことだと思います。
以上のことから、やはり私は、神道の教えをもっと学び、身につけていきたいと思いました。
参考にしていただけたらと思います。