「霊能力がないと祝詞は意味がない」って本当?SNSで見た発言について考えてみた
こんにちは。いつもブログにお越しくださりありがとうございます。
先日、読者の方からこんな質問をいただきました。
「インスタかTikTokで、ある若い男性霊能者さんが『霊能力のない人が祝詞を唱えても全く効果はないです。意味ないです』と言っていたのですが、どう思われますか?」
SNSで様々な情報が飛び交う中、スピリチュアルな分野でも色々な意見や主張を目にすることが増えました。特に「霊能力」や「祝詞」といった、目に見えない世界のことについては、人によって考え方が大きく異なります。
かの小野善一郎さんは、「必死になって大祓詞を唱えるならば、神様は必ず感応いたします。なぜならば、我が国の神々は、私たちの先祖だからです」とご自身の著書「あなたを幸せにする大祓詞」の中に、記されています。
このくらい、プロとプロの意見は違うのですよね。
この疑問、実は多くの方が心の奥で感じているのではないでしょうか。
ちょっと深掘りしていきましょう。
このような発言が気になってしまう理由を考えてみました。
不安や疑問が生まれる背景
- スピリチュアルな実践に興味はあるけれど、自分に「特別な能力」があるとは思えない
- 祝詞や瞑想などを日常に取り入れているが、効果があるのか分からない
- 権威ある人(この場合は霊能者)の発言だから、正しいのかもしれないという不安
- 自分の実践が「無意味」だと言われているような気持ち
SNSの特性上、インパクトのある発言ほど拡散されやすく、私たちの心に強く残りがちです。でも、それが必ずしも真実とは限りません。

私なりの解決策と考え方
この問題について、私なりに考えをまとめてみました。
①祝詞の本来の意味を考える
祝詞は、もともと神様への感謝や願いを表現する言葉です。それは、「霊能力」という特殊な能力の有無に関係なく、心からの気持ちを込めて唱えるものではないでしょうか。
日本は古来から、多くの一般の人々が神社でお参りをし、心の中で願いを込めてきました。そこに特別な能力が必要だったでしょうか?
②「効果」の定義を見直す
「効果がない」というときの「効果」とは何を指しているのでしょうか。
- 超自然的な現象が起こること?
- 願いが叶うこと?
- 心の平安を得ること?
- 感謝の気持ちを深めること?
もし「効果」を「心の状態の変化」や「気持ちの整理」として捉えるなら、霊能力の有無に関係なく、多くの人が実感できるものかもしれません。
③個人の体験を大切にする
スピリチュアルな実践において最も大切なのは、他人の評価ではなく、自分自身の体験になってくるのではないかと思っています。
祝詞を唱えて心が落ち着く、感謝の気持ちが深まる、前向きになれる。そんな実感があるなら、それは十分に「意味のある」ことだと思うのですよね。
例えば、私の体験談です。
霊能力もそこまで強くはもともと持っていなかったのですね。自覚がなかったくらいですから。私は霊能力がないものだと思って過ごしていました。
でも、大きく変わりだしたのは、「大祓詞」を唱え始めてからです。
まず、神様との繋がりを深く感じれるようになりました。天候に色々とお知らせが来たり、または、お天道様が語りかけてくださるようになったり、あと夢でのお知らせも深く深くなっていきました。神様の存在を感じられ、また、これがなんというか、守られている感が湧き、感謝の気持ちで過ごせています。
またもともと、ネガティブなエネルギーにそんなに強くなかったと思うのですが、唱え始めて、それらからの影響がなくなり始め、家の中の安定にもつながっています。
私もたくさん試してきましたけど、例えば、家の中に祭壇を作ったり、セージを焚いたりして場の浄化に努めたり、自己浄化をしたりと色々と努めてきましたが、大祓詞を唱え始めて、私には一番、心身ともに、そして家の安定に効果があったように感じ、今では、とても止めようという気分になれない、と思っているぐらいの位置付けになっています。
決して「効果がない」とは私は言えません。もともとそこまで特別な霊能力を持っていなかった私も、逆に日々の大祓詞によって、心身、住まいが研ぎ澄まされて、むしろ霊能力が格段に上がったように感じれています。
④権威に惑わされない姿勢
「霊能者だから正しい」「SNSで話題だから真実」といったということは、ないと思われていいと思います。スピリチュアルの分野だからこそ、自分の感覚や体験を信じることがとても大切です。
そういったお話に触れることはいいと思いますが、まず、試してみられて、それが自分に合っているか合っていないか、という、体験から見極めていただけると一番いいように思います😃
実践のコツ
もしこのような疑問を持ったときには、ぜひこの視点を持たれてみてください。
情報の発信者を確認する
- その人の背景や実績は?
- 一方的な主張ではないか?
- 他の意見も聞いてみる
自分の体験を振り返る
- 実際に祝詞を唱えてどう感じたか?
- 心に変化があったか?
- 続けたいと思うか?
柔軟な視点を持つ
- 絶対的な正解はないかもしれない
- 人によって合う・合わないがある
- 自分なりの実践方法を見つける
まとめ
SNSで見かけた「霊能力がないと祝詞は意味がない」という発言について考えてみました。
私個人の考えとしては、祝詞や瞑想などのスピリチュアルな実践は、特別な能力がなくても心に良い影響を与えうるものだと思います。大切なのは、権威ある人の発言に振り回されるのではなく、自分自身の体験と感覚を信じることです。
そして、私の体感ですが、「大祓詞」は、急にどーんと何か変化が現れるのではなくて、日々のコツコツとした積み重ねの中で徐々に「あれ?前と違う」といった感覚になられるのが通常ではないかなと思います。これは霊的な世界でも言われるのですが、急にどーんと変わることはありません。日々の積み重ねの中で、徐々に徐々に少しづつ変化を感じれてくることが通常だと思います。焦るのですけどね。でも我が国では、その積み重ねが功を奏するのだと思います。決して諦めずいきましょう。
もちろん、これは私の一つの考えに過ぎません。皆さんはどのように感じられるでしょうか?
スピリチュアルな世界には様々な考え方があります。だからこそ、他人の意見を参考にしながらも、最終的には自分の心に聞いてみることが一番大切なのかもしれません。
みなさんの体験や考えも、ぜひ聞かせてください。
一人ひとりの実体験こそが、この分野においては最も価値のある「情報」なのかもしれませんね。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。皆さんにとって心穏やかな一日でありますように✨
