日本の教えというのは、自分の魂を守って、使命へと導いてくれている
村山惣作さんのお話には、また次の言葉が書かれています。
一体日本人が外教(海外の宗教)を信ずることは、梅の木へ桃を接いだようなもので、梅が梅でなくなるということである。また、大根を蒔きつけた上へ再び人参を蒔きつけて耕作不能にいたらしむるようなものである。
日本人には日本人の物実たる日本魂(国魂)が蒔きつけられてあるから日本人なので、その上、外国魂を二重蒔きするならば、もはや、日本人が日本人たらざること、梅の木と同理であり、使命遂行を不能ならしむること耕作不能と同様である。
日本の国土は、神々であるイザナギノミコトとイザナミノミコトから生まれたものです。
その誕生した土地は、それぞれが土地や大地の神様となりました。生まれた土地にはそれぞれ名前があり、男性、女性と性別もあります。古事記を読むと、そのことがわかります。
その土地の上に生まれた私たち日本人は、その土地の神様から受けた教えをもとに、その土地から生まれた教えで育つことが正しい道であるということのようです。
たとえば、農業でも、大根の種を蒔いた場所に次に人参の種を蒔くと、最初に蒔いた大根の種はうまく育たないと言われています。つまり、日本人の素質や魂を持った日本人が外国の教えを多く取り入れると、元々の日本人の魂が消えてしまい、持って生まれた役割や使命を果たせなくなる、ということです。
信じる教えが違うと、自分の使命を果たせるかどうかに大きな影響を与えるのです。
このように、元々あったものの上に別のものを加えて、元のものを消し去る行為を「天津罪の頻蒔の罪」と言い、畔放ちの罪に次ぐ、最も重大な罪とされます。この罪を犯すと、自分に罰が戻り、その罪の重さゆえに、幸せを感じる人生を送ることが難しくなるようです。
正しい教えであれば良いのですが、間違った教えを植え付けると大きな罪になります。人に何かを伝えるときは、慎重に伝えることが非常に重要です。したがって、スピリチュアル思想についても、もう一度日本人にとってふさわしいかどうかを見直す必要があります。
まず、日本の軸となる教えを知ることが重要です。その後に他の教えを取り入れるのは良いと思いますが、日本の教えをないがしろにして別の教えに従って生きることは、時と場合によっては大きな罪を招くことになるでしょう。
また、村山惣作さんの言葉にも、次のような記述があります。
国家の不祥事も自己一身の滅亡や子孫の断絶は、頻蒔の罪から起こるのである。かの僧の道鏡といい、幸徳秋水といい、自己の本性(日本魂)本質(日本精神)を忘失した標本である。
ということでした。