神様への祈りに関してのお話
こんにちは。いつもブログにお越しくださりありがとうございます。
今日はまた、神道のお話をご紹介させていただきたいと思います。ここに出て来られる利仙君というかたは、日本の神々と繋がっておられる方だということを念頭に読んでいただけたらと思います。それだけ、神界のことをご存知ですし、そもそも神々のお一人なのですね。
神界の掟と言いますか、とても参考になるお話です。
今日も参澤先生と、神界の方の利仙君さんの問答を書いてみたいと思います。
今日もひとつ、抜粋させていただきますが、最後、この「日本古学アカデミー」の著者の神道をずっと研究されて来られた方の清風道人さんの記述もご紹介させていただきたいと思います。
神様への祈りに関してのお話
世俗の行う百度参りや後世の神官が行う百度祓い、万度祓いなどと申すのは、元は仏者の百万遍年仏などを羨んで真似たことで、神の御心に違えるのではないでしょうか。
また、世の祈祷には己のためにするものもあり、人のためにするものもあり、どのように心得ればよろしいでしょうか。
百度参りも神慮に叶い、百度祓えも後の法であるが、清浄なる神事ゆえ、至極宜しいことである。
さて、祈祷は君親師匠のためにするのは忠孝の道である。子孫おために祈るのは、仁術である。他人を祈るのも宜しい。
ただし、邪法による祈念は致してはならない。いずれにしても、自身の富貴、息災、延命を祈るのは甚だ不法であるゆえ、致さぬが宜しいと申し伝える。
この部分に関して、清風 道人さんの記述
百度参りは、最初は願を立てて行うものですが、それを行なっているうちに当初の欲望がなくなり、その至誠が神慮に適って奇跡が起こるとされています。
「邪法による祈念を致してはならない」とありますが、邪法を行なって効験があるのは禍物による霊験の結果ですので、一時的には思い通りになってもいずれは大きな代償を払うことになります。
また、「自身の富貴、息災、延命を祈るのは甚だ不法である」ということについては、自身のことを祈る場合は欲望が入り込んで悪念の種となることが往々にしてあり、わざわざそのような危険を冒さなくても、神々は敬神の心を持つ人に対しては、「特愛の神徳」で接せられ給うことを認識すべきでしょう。
さらに、「人を呪わば穴二つ」、「人を憎むは身を憎む」、「人を呪えば身を呪う」などといいますが、自信を愛でるあまり他人に対する怒りや恨みなどの悪念を抱く癖のある人は、それらの禍分子が霊魂中で凝血する重濁な霊魂の人となり、黄泉の国より荒び疎びくる禍物に相率り相口会うこととなって、遂には知らず知らずのうちに悪行を犯して鬼物や妖魔の群れに引き入れられることになりますので、要注意です。
本居宣長先生が、「事しあらば嬉し悲しと時々に、動く情ぞ人の真心」、また「動くことこそ人の真情、動かずと言ひて誇らふ人は岩木か」と詠まれているように、喜怒哀楽があってこそ人生というものですが、奉道の士は、善念は崩れやすく悪念は崩れがたいものであることを弁え、常に清祓に勤めて自らの清明心を守り通すべきでしょう。
以上になります。
古くからの日本の教えでは、こうなっているようです。
常に清め祓いの精神、に最終的には、そこになるのでしょうね。そして、反省したら同じことを繰り返さないようにと切り替えて、なるべく明るい心で過ごすこと、これなのでしょうね。
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