宗像大社を参拝した後、驚いたことをまず2つ
川村 裕美
えふで白書
今日は朝と夜のお話を書いてみようと思います。
朝日を浴びて1日が始まる、という生活でした。
電気や火さえもない昔、夜は漆黒の闇の世界で、夜は魑魅魍魎がうごめいたと考えられていました。その恐怖から、人々は祈る気持ちで朝日の到来を待ったと言います。
古事記でも、天照大御神さまが天岩戸に隠れられた時は、世の中で魔物が騒ぎ、たくさんの災いごとが起こったことが記されています。
ということで、魑魅魍魎のうごめく夜があけ、朝日の光で安堵し、喜びました。
朝は再生のチャンスで、新しいエネルギーで溢れています。
夜という、闇に包まれて横になるというのは「仮の死」だと捉えられていました。
一転して、光に包まれる朝を、これを再生の象徴と考えられていたということです。
魑魅魍魎が騒ぐとされていた夜。どんなに就寝前にお風呂に入ったとしても、夜の間に身体は穢れるとされました。
ですから、朝は顔を洗い、歯を磨くことは「穢れを祓う」ということ。禊とは、「身を削ぐ」という意味から来ていて、穢れを祓うということは、身を削ぐようなことだということでしょうね。
「浄と不浄の間にしっかりと線を引く」「不浄は持ち込まない」ということを大切にされてきました。
夜についた穢れは、朝には持ち込まない。そういう意味でも、朝の水での洗浄はとても効果があるとされてきたのです。
ですので、朝のシャワーもそういった意味でも、とてもいいようです。朝シャワー取り入れてもいいかもしれませんね。全身の穢れを祓って、心身ともにリセットする。そして、その後に太陽の光をいっぱいに浴びて、感謝の1日から今日の1日の無事を祈ってみるのも、いいのではないかと思いました。
今日は古学から見た、朝と夜のお話を書かせていただきました。