それでも、いいんです ―近づかない、という優しさ
こんにちは。いつもブログにお越しくださり、ありがとうございます。
夏は、親戚で集まる機会が、増える季節ですね。
お盆の帰省、法事、親戚の集まり。
この時期、「行きたくないなあ」と、少し気が重くなっておられる方はいませんか。
行けば、気を遣う。笑顔をつくる。当たり障りのない話をして、帰ってきたら、どっと疲れている。
そして、そんな自分を責めてしまう。「家族なのに」「親戚なのに」「私は冷たい人間なんだろうか」と。
今日は、そういう方に、お伝えしたいことがあります。
参拝の、二日後のことでした
先日、私は島根の太皷谷稲成神社に、月参りに行ってまいりました。
そのとき神様の前で、私はこうお祈りしました。
「皆様、家族の皆様が、とてもいい導きに向かわれますように」
クライアントの皆様と、そのご家族のこと。ただそれだけを、祈ってきました。
そして、その二日後のことです。
きらきら星ヒーリングを受けてくださっているある方から、こんな夢のご報告が届きました。(掲載ご許可、ありがとうございました✨✨😃)
ある方が見た、不思議な夢
その方は、広い作業場のような場所にいました。工場の中の、何もない、がらんとしたコンクリートの床。
そこで、長い椅子を並べているのです。
「親戚一同、全員が座れるように」
そう思いながら、椅子を準備しているのだそうです。
そして——その作業場に、一匹の動物が現れました。
黒いシルエットだけの姿。狼のような、狐のような、その半分半分のような姿だったそうです。
不思議と、怖くなかった。
その動物は、地面を嗅ぎながら、警戒することもなく、すぐ近くまで歩いてきました。夢を見たその方も、驚きもせず、恐怖もなく、そのまま椅子を並べる作業を続けていたそうです。
その動物は、神様のお遣いです
このお話を伺ったとき、私は、はっとしました。
狐と、狼。
太皷谷稲成神社は、お稲荷さんの社です。お狐さまの社。
そして私はずっと、あの社の神様を思うとき、お狐さまとともに、狼の姿も心に浮かんできていました。
その二つが、半分半分の姿になって、夢に現れた。
しかも、怖がらせもせず、ただ静かにそばに来て、そこにいてくださった。
参拝の、二日後です。
これは、神様のお遣いだと思いました。
つまり、この夢は、ただの夢ではないのです。神様が、伝えたいことがあって、見せてくださった夢なのだと思います。
では、何を伝えようとされたのか。
夢を、もう一度ご覧ください。
椅子の形が、答えでした
夢の中の、その椅子。
丸いテーブルを囲んで、顔を突き合わせる形ではありませんでした。
L字型の、長い椅子です。
つまり——並んで座る形。同じ場所にいながら、真正面から向き合わない形なんですね。
「触らないで」と言われた場面
その夢には、もうひとつ場面がありました。
その方が、親族のひとりに、そっと肩を触れようとしたのです。
すると、その方は体をそらして、とても嫌がられた。
夢を見た方は、それがショックだったそうです。「私は嫌われているのかしら」と。
でも、私はこう思いました。
これは、「嫌われている」ではありません。
「近づきすぎないでね」という、合図なんです。
相手のほうが、境界線を引いておられる。それだけのことなんですね。
神様は、席の形まで教えてくださった
この夢が言っていることは、こういうことだと思います。
みんなが座れる席は、ちゃんと用意していい。
でも、無理に近づかなくていい。
手を取り合わなくていい。
身を寄せ合わなくていい。
膝を突き合わせて、腹を割って話さなくていい。
それぞれの場所に、それぞれが座っていればいい。
しかも、場所はコンクリートの作業場でした。
畳の間でも、和やかな居間でもありません。飾りも、温かみもない、事務的な場所です。
つまり——「和気あいあい」を演出しなくていい、ということでもあると思うのです。
「出るか、出ないか」だけじゃない
こういうお話をすると、多くの方が「では、行かなくていいということですね?」と受け取られます。
でも、そうではないんですね。
夢の中で、席は、ちゃんと用意されていました。
行っていいのです。座っていいのです。
ただ、近づきすぎなくていい。
「行くか、行かないか」——私たちは、つい、その二択で悩みます。
でも、三つ目の道があります。
行く。座る。でも、近づかない。
にこやかに、当たり障りなく、事務的に。それで、じゅうぶんなんです。
ただし、これは「誰とでも距離を取れ」ではありません
ここは、はっきり分けてお伝えしておきますね。
ちょっとした行き違いや、話せば解ける誤解なら、直したほうがいいのです。歩み寄れる相手なら、歩み寄ったほうがいい。
私がここでお話ししているのは、そういう相手のことではありません。
あなたを傷つけてくる人。会うたびに、心を削っていく人。何年も、何十年も、変わらなかった人。
そういう相手のことです。
大切なのは、切るか切らないかではなくて、見分けることなんですね。
そして、いちばん大事なこと
ここからが、いちばんお伝えしたいことです。
距離を取ったあと、私たちは、自分を責めます。
「冷たかっただろうか」 「もっと話しかけるべきだったんじゃないか」 「私は、優しくない人間なのかもしれない」
その自責のほうが、実は、いちばん重いのです。
だから、聞いてくださいね。
それでも、いいんです。
近づかなくても、いい。 仲良くしなくても、いい。 並んで座っているだけでも、いい。 事務的でも、いい。
それで、いいんです。
時代が、変わってきています
かつては、「兄弟、親戚とは、手を取り合って仲良く」というのが、美徳とされていました。
でも、最近は違うんですね。
「自分を傷つけてくる人とは、たとえ親族であっても、距離を取りなさい」
そういう合図が、いろいろな方のところに、立て続けに届いています。
私のところにも、ご相談が重なっています。夢にも、カードにも、同じことが出てきます。
これは、時代が変わってきているのだと思います。
無条件に和合するのではなく、まず自分を守る。
神様のほうが、そちらを応援してくださっている——今の私には、そう感じられます。
もしかしたら、この流れも、いつかまた変わっていくのかもしれません。
でも、少なくとも今は、そういう合図が届いている。私はそう受け取っています。
おわりに
夢の中で、あのお遣いは、何も言いませんでした。
ただ、そばに来て、静かにそこにいた。
そして夢を見たその方は、怖がりもせず、椅子を並べる作業を、そのまま続けていました。
「その作業で、合っているよ」
「そのまま続けなさい」
そう見守ってくださっていたのだと、私は思います。
この夏、行きたくない集まりがある方へ。
行っていいのです。座っていいのです。
そして、近づかなくて、いいのです。
それでも、いい。
そう言ってくださっている方が、ちゃんとおられます。
どうぞ、ご自分を責めないで、この夏を過ごしてくださいね。
今日も、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
