神仙感応経①〜伊弉諾大神が人々に伝えられたお話
神仙感応経というのがあります。これは、諸説あるようですが、伊邪那岐大神のお言葉を、まとめられたものらしいです。4世紀以降のもののようです。
つまり神界からの教えになるのですが、神界のお勉強をされている方は、必ず目を通した方いい書だと言われいます。神様の意向がどこにあるのかを霊察できる貴重な書です。
口語訳して、今日は初めの方を書いていこうと思います。
今何が正しいことで何が悪いことなのか、情報が多すぎてわからない時がありますよね。でもこういう時は、まず原点に戻ればいいと思いますので、そういった意味でも、こちらの書をご紹介できればと思っています。
江戸時代のある青年が、この書を毎日読んだことで、神界に招待されたというお話も「異教備忘録」という書物の中に残っています。
神仙感応経①第一・第二段落
伊弉諾大神は言われた。禍福は元々定まっておらず、ただ、人が自分自身で招くものである。
善悪の果報というのは、影が形にしたがうようなものである。
天地には、人間の行動を監視する神様がいて、人が犯す罪業の軽重によって、(ご先祖様も含む)人の今まで積み上げてきた徳を奪うのです。
その今までご先祖様から積み上げてきた徳が、その罪を犯すことによって減っていけば、貧窮し、消耗してしまい、多くの憂いと苦しみに見舞われて、人々はその人を憎むようになり、さまざまな災いがその人に付きまとい、おめでたいことはその人を避けていき、不運の星はその人に災いをもたらし、そして、その積み上げてきた徳が尽いてしまえば、死んでしまうのである。
また、三台北斗の神様(生死、福報、財産を管轄される神様)がいらっしゃる。人の頭上にいらっしゃり、人が罪や悪を犯したら、それを記録して、そして、人の積み上げてきた徳を奪うのである。
また三尸の神(人体に巣食う霊虫)がいる。人の体の中に存在しており、60日に1度の庚申の日が来るたびに、万霊司籍府宮に行って、その人の行った罪過を報告する。
月末には、かまどの神様も同じことをなさる。人に過失があれば、その過失が大きければ12年を奪い、小さければ100日を奪うのである。
その過失には大小があり、数百もの種類がある。
神仙になりたいと思う人は、まずこのような過失を避けなければならない。
