毎朝の詞って、ちゃんと届いているのでしょうか?
こんにちは。いつもブログにお越しくださりありがとうございます。
今日は、祝詞のこと、少し書いてみようかなと思いました。
大国主様の祝詞と大祓詞を唱えられている方がいらっしゃって、大祓詞のときは飼っておられるペットちゃんが、ベッタリとくっついてくるのに、大国主様の祝詞を唱えているときは、どうもペットちゃん、逃げられるそうなのです。
大祓詞は、言霊の力によって自分自身や家族、場所を清めるからでしょうか。ペットちゃんも心地良いと思います。一方、大国主様の祝詞は、大国主様と直接つながるので、きっとペットちゃんも怖いのだと思いました。
そういえば、一度だけ私の枕元に、おそらく大国主様であろう方が立たれたことがあるのですが、もう大きくて大きくて、私も怖かったのを思い出します。まだ悪霊の方が怖くないのですよね。恐れ多いというか、私も失敬なのですが、背をむけて眠ってしまいました。
さて、今日は、古学の本に祝詞のことが書かれていたので、一つご紹介したいと思います。
毎朝の詞って、ちゃんと届いているのでしょうか?
これは、江戸時代に、神様と人とのやりとりが書かれたものが残っているのですが、一部ご紹介したいと思います。
私の毎朝の拝神の詞や、清浄利仙君(神様のお一人)の御前を遥拝する詞は、仙境(神様の世界)へも通じているのでしょうか。
参澤先生の毎朝の拝礼のことばは、いずれも幽境へ良く通じている。そのように怠りなく儀を勤めることは奇特なことで、褒め申されてもいる。
以上のやり取りから、ちゃんと毎日の祝詞は、神様に届いているということがわかります。私が言っているのではなくて、神様がちゃんとおっしゃっていますので、間違い無いでしょう。
また、毎日の祝詞を欠かさずあげているということは、褒められることのようですね。
そして、願い事も聞かれているようで、叶えるのにふさわしいものは、叶えてくださるようです。そのことも書かれてありました。
ひとこと
ということで、おそらく、大国主様の祝詞を唱えると、大国主様と直接繋がられるのでしょう。だから、ペットちゃんが恐れられるのだと思いました。大国主様のいらっしゃるところは、ものすごく大きなところだと言われています。一つの世界のようなところということでした。
ペットちゃんが教えてくれていますね。
毎日、祝詞、あげたくなりますね。
もし祝詞がなくても、神様のお名前とお願い事を神棚に向かってお唱えするだけでも、届いているはずです。祝詞でなくても大丈夫だと思います。心、気持ちですからね。そのときは、日々の感謝も忘れずお伝えしましょう😃