私がヒーラーになったきっかけ
こんにちは。超古神道研究家でヒーラーのひろみです。
今日もブログにお越しいただき、ありがとうございます。
今日はある方からご質問があったので、自己紹介の一つにもなるのですが、書かせていただきたいと思います。自己紹介もブログに書いていかないといけませんね。
ヒーラーになったキッカケは何でしたか?
私がヒーラーになったキッカケ
裕美さんがヒーラーになられたきっかけはどういったものだったですか。
このご質問、結構受けます。
私がこのヒーリングの技術を身につけようと信州に2ー3年くらいをかけて行ったり来たりしたのですが、最初は、ヒーラーになりたくて行ったわけではなかったのですよね。
ちょうど24歳の頃、私は、不正出血があり、何ヶ月か病院に通ったことがあります。当時、私は車を持っていなかったので、徒歩で行き来していました。普通に歩けば片道20分くらいでしょうか。
その歩いている時に、最低5人の見ず知らずの人に声をかけられていました。老若男女、その中には小さな子どももいました。そして、どんな話を聞いていたかと言うと、みんな悩み事。お年寄りになると、回想のお話です。
「世の中、みんな一見幸せそうに見えるけど、みんなそれぞれ悩み事を抱えているのだな」、と知ると同時に、皆さんのお悩みに深く傷ついたことを思い出します。
普通ならば20分かけて病院に着くような道を、こういった声をかけられ、1時間通院にかかったものでした。
何か私にできることはないのか
そこで、何か私にできることはないだろうか、と思い、ネットで調べるようになって、その中で「言葉の中でヒーリングがあなたもできるようになる」といった講座をされておられた先生がいらっしゃったので、1日で習い終えれるし、ちょっと行ってみよう、と軽い気持ちで信州を訪れたのでした。
そこで1日の講座を受けて終えてみると、とても楽しかったので、またこの先生に習ってみたいと思って、講座に通い出したのがキッカケでした。
2−3年通いましたが、セラピーストやヒーラーにプロとしてなろうとは思ってもいませんでした。
また、このヒーリングで信州に一度足を運んだ後は、通院途中に声をかけられることが全くなくなりました。
通院中にあれだけ多くの人から声をかけられたことは、これも偶然じゃなかったのかなぁと今振り返ればそう思えます。
この仕事は、リケジョの私に合っていたみたいです
今思うと、この流れになったのも不思議なのですが、私、こう見えて、リケジョなのですよね。いわゆる理系人間でずっと生きてきました。高校は、理系文系の選択を2年生になる前にしないといけないと思うのですが、「理系は医者になりたい人が行く」と勝手に思い込んでいたので、医者になりたくない私は文系を選択しましたけど。
ちなみに、国語がめちゃくちゃ苦手でした。この文章を読んでいただければわかると思います。
ただ、数学と理科系が好きでした。高校生の頃は科学部所属。数学と物理が特に好きでした。バリバリの現実主義・実験結果しか信じない、数字にこだわる人間でした。放課後はマニアックな実験をして仲間と一緒に有意義な時間を過ごせたと思っています。
こういった人間がこんなオカルトちっくなスピリチュアルに興味を持ったのは、今振り返ってみても不思議なことです。
講座を終えて、他人を癒すはずだった勉強が、なんと自分が大きく変わってしまったことに気づいて、そして、「この仕事をして、今度は私が人を癒す番だ」と思ったのでした。
人生は、数学の問題だ。その問題をセラピーという方程式を使って一つずつ解いていくことによって、解決していくのである
私はこのセラピーがとても合っていました。なんといっても、このセラピーって「数学の問題を解いていく」のと同じなのです。
このブロックを取ると、次にこういったブロックが出てきて、この後にこのヒーリングをしてもらって、そして、こうすれば、この人ってこう変化して、この人は、まだまだ楽に生きれるぞ、と、なんか公式があるのです。そして実際にそのヒーリングをすると、その通りになっていきます。その通りになっていく・・・というのが数学らしいでしょ(笑)。そして、「この次にこのブロックが出てくるだろうな」と思ったら、やはりそうなるのですよね。
人の人生って数学だと思うし、ヒーリングの方程式で解けるのです。つまり人の人生って、いい浄化をしていけば、どんどんいい感じに人生そのものがシンプルになっていき、また幸せを感じれるようになるのです。
おまけに人格まで自然と向上します。
何か嘘のような気がするのですけど、ちゃんと続けて貰えば、私、その都度、大好きな方程式を解いてきます。(笑)1度で解決すれば一番いいのですが、問題ごとって、大抵、絡まった糸のように、色々な問題が複雑に絡み合って、その現実が現象として起こっているので、問題ごとが大きい人ほど、回数が必要にはなってきます。すぐに変われるという、急速な急激な変化はなく、何度かセラピーを積み重ねて変化を感じれるようになる・・・というのが弱点にはなってきますが。
おっとと・セラピーの話はまたHPにちょっとずつアップしていきますね。
このセラピーの仕事は、もろ理系でした。
私の師匠も、数学が好き、と当時仰っていたので、多分、「理系をいかしている」と言うのは間違いないように感じます。
理系の自分に合っていたのだと思います。
楽しいし、皆さんのお役に立てるヒーリングだなと思えたので、続けてきました。
親にこの仕事を反対されたことがあった
ただ、この仕事は、宗教と勘違いされます。セッション中にガイドが出てきたり、何せ「前世」という単語がある限り、そこの宗教色は強くなっていきますね。
私は、かつて親に反対されていました。20代の時に2回、30歳の「ヒーリングルームNatural*Garden」を立ち上げた時に1回。
そして、20代の頃は、親の言うこと聞きませんでしたから(笑)、何が何でもする、という姿勢は貫いていました。
そして、不思議だったのですが、20代の頃、「その仕事やめなさい」と電話で言われて、その後すぐ、2回とも私が交通事故にあったのです。事故に遭って母に私が連絡するものだから、当時、母も慌てていました。
そして、30歳になって、また母から反対されます。
「親戚に迷惑をかけるから」と言われました。そして、その時は、私も年をとったからでしょう、「みんなに迷惑をかけるのでやめよう」と思い、その時、「わかった」と答えました。そして、すぐその後、あるお店の駐車場で、私の車が突然パンクしたのでした。そして、こういったトラブルどうしていいのか対応の仕方が分からず、親に電話をかけて指示を仰ごうと思っていたら、どうも母親が察知したようで。
「この仕事をやめろというと、事故にあう」という現象に親も気づいたようで、あれから反対しなくなりました。
その当時の私も、これらの3回の出来事はあまりにも偶然すぎて、これは続けなさいと言われているなと、そう思えました。
まとめ
何かすみません。つらつらと思い出すままに書いてしまいましたが。
今年で私14年が経ちました。この仕事を続けて、15年目にして気づいたのですが、私はやはり「浄化をしていく人間なのだ」と。人を説得したりアドバイスすることよりも、淡々と「浄化」に力を入れていくこと。
今年15年目にして、私は人に話をしていく人間ではないと、ようやく気づきました。苦手だとようやく気づきました。
浄化をただひたすらしていくヒーラーなのだ、ということです。今更ながら。
初心を思い出して、今後もセラピーに務めていきたいと思います。