エッセイ

手帳は、予定を書くものだけではなかった。

川村 裕美

いつもブログにお越しくださりありがとうございます。

今年の6月23日から、私、紙の手帳生活を改めて開始し始めたのですが、今数ヶ月経って、手帳ってやっぱりいいなと思ったので、それを書いてみたいと思い、ブログにしました。

一度、やめました

手帳を、一度やめたことがあります。

理由は、空白の日が多かったからです。全部のページを埋めなければ意味がない、と思っていました。埋まらないページを見るたびに、もったいない、と感じて、そのうち開かなくなりました。

もう一度買ったのは、今年の誕生日のころです。ちょうどそのころ近くにロフトができて、そこへ買いに行きました。ほぼ日手帳が置いてありました。ただ、四月始まりのものしか残っていませんでした。私の誕生記念樹は桜なので、桜の季節から始まる手帳になりました。今思えば、そのほうがよかったのだと思います。

カバーは、ピンクと茶色のツートンのものが一つ置いてあって、それにしました。

ずいぶん経ってから、ふと気づきました。ピンクと茶色。あれは、桜だ、と。

何も意識していませんでした。かわいいな、と思って手に取っただけです。それなのに、中身は桜の季節から始まっていて、外側も桜の色でした。

写りは悪いんですけど、これピンクと茶色の色しているんですよね。このピンク、まさに桜の色なんですよね。

自分で選んだつもりのものが、あとから見ると選ばされていた、ということがあります。あのカバーが、あの日たまたまそこにあったことも、今思えば、とても運がよかったのだと思います。

こういう小さなことは、たいてい後になってから分かります。そして後から分かるためには、書いてあるか、手元に残っているか、どちらかが要るのです。

三つだけ、変えました

前と違ったのは、三つあります。

ひとつは、書く理由ができたことです。日記ではありません。見た夢、引いたカード、目に入ったしるし、受け取った言葉、そしてあとで起きたこと。書く欄が決まっているので、何を書こうか迷いません。

ふたつめは、手で書くということです。(以前はパソコンを使っていたので、タイピングが主でした。)手を動かして書いていると、散らかっていた意識が、ペン先の一点に集まってきます。頭の中でぐるぐるしていたものが、紙の上に降ります。

みっつめは、空白があってもいい、と決めたことです。毎日埋める手帳ではなく、書きたい日に書く本にしました。心に残るページが数枚あれば、それでもう元は取れています。

動画とSNSを、見なくなりました

しばらく続けて、思いがけないことが起きました。

動画とSNSを、見なくなったのです。

我慢したのではありません。見ないようにしよう、と力んだ時期もありましたが、それはあまり続きませんでした。禁止は、空きを作るだけだからです。空いたところに置くものがないと、また同じところへ手が伸びます。

手帳が、その空きを埋めました。

見る先が、自分の外ではなく、自分の紙の上にある。それだけのことで、開く先が変わりました。

書いたら、もうそうなっていました

そしてもうひとつ、自分でも驚いたことがあります。

しばらく前に、「今は自分の人生に集中する時ですよ」というメッセージを受け取りました。私はそれを、手帳に書きました。ただ書いただけです。

先日ふと気づいたら、もうそうなっていました。

見る先が自分に戻っていて、外の声が入ってこなくなっていて、自分の仕事に手がかかっていました。書いたときには、そんなつもりはありませんでした。ただ受け取ったから書いた、それだけです。

これが、手帳に書くということの意味だと、私は思っています。

手帳は、予定を管理する道具ではありません。受け取ったものを、置いておく場所です。そして人は、自分が置いた方へ、少しずつ動いていきます。書いた日には何も起きません。でも、置いた場所のほうへ、体が向いていくのです。

読むと流れます。書くと、落ちます

受け取っただけでは、たいてい流れていきます。

あ、今いいことを言われたな、と思っても、その日の夕方には忘れています。そして何か月かして、また同じところでつまずいて、同じことを言われます。気づかないまま通り過ぎて、また同じことの繰り返しです。私はそれを、何度もやってきました。

書くと、そこが変わります。

手を動かして紙に書くと、頭で分かっただけのものが、体のほうへ降りてきます。ペン先を通ると、自分のものになるのです。そして自分のものになったことは、そのうち、やっています。決心しなくても、気づいたら実行しています。

読むだけでは通り過ぎます。書くと残ります。書いて残ったものは、体が勝手に拾いに行ってくれます。

毎日書くというのは、たぶんそういう作業です。記録ではなくて、落とし込みです。手を使う、というところが大事なのだと思います。

だから、書くことが分からない、という方には、こうお伝えしたいと思います。予定を書かなくていいので、受け取ったものを書いてください。夢でも、ふと浮かんだ言葉でも、いいなと思った一行でもいいのです。

天からのメッセージも、同じ手帳に書いています

夢で言われたこと。瞑想の中で受け取ったこと。ふとした瞬間に降りてきた言葉。どうすべきか、というところまで教えてもらうことがあります。それも全部、同じページに書いています。

書くようになってから、天とのつながりが強くなったように感じています。

順番が逆のようですが、実際にそうなのです。つながっているから書けるのではなく、書いているから、つながりが太くなっていく。受け取ったものを書き留めて、大事に扱う。そうすると、また次が来ます。届けたものがちゃんと受け取られたと分かれば、送るほうも送りやすいのだと思います。

ですから今は、この手帳とあちらの世界が、離れないところにあります。手放せないというより、もう地続きになっている、という感じです。

なぜ、紙なのか

デジタルの手帳をつけていたこともあります。便利でした。スタンプも貼れますから、とても可愛いものができます。検索もできますし、いつでも取り出せます。それでも私は続きませんでした。

ひとつは、すぐに振り返れないからです。紙はぱらぱらとめくれます。先月のページも、去年の同じ時期も、一瞬で目に入ります。デジタルは、探さないと出てきません。探すという手間が入るだけで、振り返る回数がぐっと減ります。

もうひとつは、画面がきついからです。

私は、画面の向こうにあるものを、そのまま受け取ってしまうところがあります。書かれている内容だけでなく、その奥にあるものまで届いてしまう。だから、画面を開くこと自体が、少し消耗します。

紙には、それがありません。紙は、自分が書いたものしか返してきません。静かなのです。

便利かどうかで選べば、デジタルのほうが上かもしれません。でも、自分の体に合うかどうかで選ぶと、私の場合は紙でした。感じやすい方は、一度そこを比べてみてください。

カードに聞いてみました

さて、今日、自分でも気になって、カードに聞いてみました。

手帳に書くことは、私にとっていいことなのでしょうか、と。

三枚出ました。

一枚目は、星。騎士が馬の背にうなだれて乗っています。赤いマントが背を覆って、紋章を隠しています。あたりは暗く、高いところで輝く星の光だけが、たったひとつの光源です。意味は、本当の目的とつながり直すこと。天の光を仰いで、自分の道を落ち着かせること。ゆっくり着実に進めば、辿り着くということ。

うなだれている人に、星の光だけが落ちている絵です。手帳が、その星の役をしているのだと思いました。

二枚目は、カップの10。冠をかぶった騎士が、白髪の乙女を馬に乗せています。彼女は手綱を握って、旅に向けて身を支えています。木には、青と灰と緑の羽の美しい鳥がとまっていて、その鳥もまた冠をかぶっています。意味は、大切にされていると感じること。優先されるものがあること。そして、今この瞬間、必要なものは全部そろっていると感じること。

三枚目は、カップの5。男の人が女性の足元にひざまずいて、困り果てた顔をしています。女性は花束を持って、身をかがめて、彼に何かを告げようとしています。意味は、知らせを受け取ることを自分に許すこと。これから来るものを恐れないこと。そして、すべてが失われたわけではない、ということ。

三枚を並べて、少し笑ってしまいました。

私が手帳をやめた理由は、空白の日が多くて、もったいないと思ったからでした。

星は言います。ゆっくり着実に進めばいい、と。毎日埋めなくていいのです。

カップの10は言います。今この瞬間、必要なものは全部そろっている、と。埋まっていなくても、そろっているのです。

カップの5は言います。すべてが失われたわけではない、と。空白の日があっても、失われないのです。

三枚とも、私がやめた理由の側を、ひとつずつ外してきました。

乗せてもらいながら、手綱は自分で

そして、カップの10には、もうひとつ大事な意味があります。大切にされていると感じる、です。

この手帳を続けてきて、いちばん強く感じたのは、実はそこでした。

ちゃんと天に導かれているのだな、と思いました。自分は、ガイドに愛されているのだな、と感じました。書き留めたものを読み返すと、そのときどきで、ちゃんと必要なことを言ってもらっていたのが分かるのです。ばらばらに見えていた言葉が、あとから並べると一本になっています。

絵をもう一度見てみると、乙女は、騎士に馬へ乗せてもらっています。けれど手綱は、自分で握っています。

乗せてもらいながら、進む向きは自分で持っている。導かれるというのは、たぶんそういうことなのだと思います。

空白のページは、失敗ではありません

空白のページは、ただの静かな日です。

そして、静かな日をはさんでも、書いたものは失われません。ページはそこにありますし、書いた方へ、体はちゃんと向いています。

もし、途中でやめてしまった手帳が家にあるなら、今日そのページを開いてみてください。空白のところは飛ばして構いません。次の白いところに、今日受け取ったものをひとつだけ書いてみてください。

それだけで、もう続いています。

何かの参考になれば、嬉しいです。

今日も読んでくださり、ありがとうございました😃

ABOUT ME
ひろみ
ひろみ
セラピスト/ブロガー
精神世界を探求・研究し続けてきて21年。退行催眠のセラピスト。また、夢を見てメッセージを受け取ったり、夢を使ってヒーリングを行うこともしている。いつの間にかどこからともなく夢でメッセージが来るようになり、そのメッセージをこのブログで発信中。
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